ペルシャ絨毯協同組合 Persian Carpet Association in Japan

ペルシャ絨毯協同組合 Persian Carpet Association in Japan

連載コラム/Column:素晴らしきペルシャ絨毯の世界

第1回:ペルシャ絨毯の歴史
少なくとも3,000年以上の歴史を誇るペルシャ絨毯

バジルク絨毯とアルデビル絨毯  悠久の時を超えて、幾世代にもわたって継承されてきたペルシャ絨毯ですが、いつどこで発祥したのか、いまだにその起源は定かではありません。ただ、その技法が確立されたのが紀元前525年にエジプトを征服し、西アジアを統一したアケメネス朝ペルシャの時代まで溯るのは間違いがありません。絨毯が織られはじめた遠い昔から、少なくともおよそ3,000年は経過しているのは確実です。
 では、現存するペルシャ絨毯で一番古いものはどこにあるのでしょう? サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館には、旧ソ連の考古学者S・J・ルキデンコが南シベリア・アルタイ山中のパジリクにあるスキタイ山中のスキタイ王家の墓稜より発掘した「バジルク絨毯」が収蔵されています。この絨毯は、紀元前400年代のものと推定され、一部の欠損を除いてほぼ原型をとどめているのです。厳寒の地に凍結した状態で保存されていたのが幸運だったのです。5列のボーダー文様を配し、トナカイや馬を引く人物、騎馬人物が表現されたそのスタイルが、アケメネス王朝ペルシャ期のものと酷似しているため、当時のアケメネス王がスキタイ王国へ贈呈したもののひとつではないかとされています。
 年代が判別できる世界最古の絨毯は、ロンドンのヴィクトリア・アルバート美術館にある「アルデビル絨毯」です。アゼルバイジャン・アルデビルという名前が織り込まれていることから、こう呼ばれています。サイズは、縦が1152cmで、横が534cmとかなりの大きさです。さらに絨毯の表面には、ペルシャの詩人・ハーフィズの詩の一句とともに「この仕事は、946年、カシャーンのマクサドにより始められた」としるされていることから年代が判明しました。イスラム暦で946年、つまり西暦で1569年の作品ということになります(イスラム暦は、西暦622年より始まります)。上質な毛と絹がふんだんに使われ、当時としてはかなりの高級品であったと想像できます。


シルクロードの遊牧民の手織りから富と権力の象徴へ

 ペルシャ絨毯が、今日のような高い芸術性を誇るようになったのは、西アジア全体がイスラム化しはじめた7世紀以降のことです。イスラム世界では偶像崇拝が否定されていたため、絵画や彫刻の生産などが立ち遅れていました。しかし、そのかわりに織物や陶器などといった工芸の分野が目覚しい発展を遂げていったのです。そして、アラベスク文様として知られる装飾模様がこれらの工芸品を飾り、独特の工芸美術の世界を構築したのです。宮廷の保護の下、その生産は隆盛を極めました。さらに絹製絨毯などの高級品は、富と権力の象徴として王侯家族の垂涎の的となり、観賞用やコレクションとしてはもちろん各国への贈答用など幅広く用いられたとされています。シルクロードの遊牧民の生活から生まれた手織り絨毯は、このように絢爛たる魅力をイスラム世界で開花し、その拡大とともにヨーロッパやアジアの各地へ伝わっていったのです。
 イランにおいて絨毯づくりが著しく発達するのは、アケメネス、サーサーンに続くペルシャ人による大帝国が復興された16世紀のサファヴィー朝からです。シャー・タフマースプやシャー・アッバース一世の時代はペルシャ絨毯の古典期とされており、アナトリアの絨毯とはまた異なった緻密な曲線を扱った文様のペルシャ絨毯の名品が生み出されています。とくにアッバース帝の治世には、イスファハーンに都が遷されて、数多くの絨毯工房が新設され、金糸を使った絹の絨毯(ポロネーズ絨毯)など華麗な絨毯が制作されるようになり、インドのムガル朝やトルコのオスマン朝などに大きな影響を与えました。
 18世紀、サファヴィー朝はアフガンの侵略に遭って滅びてしまいました。それとともに絨毯の生産も、ごく一部を除き途絶えてしまったのです。19世紀後半になってタブリーズを中心に絨毯づくりが復興されるまで、1世紀以上のブランクがありました。この絨毯の復興は、タブリーズの商品を中心として欧州市場に向けてなされ、第一次世界大戦では市場がヨーロッパからアメリカ合衆国に移行したりしましたが、ガージャール朝から20世紀のパフラヴィー朝にも絨毯振興の制作は引き継がれて、世界のペルシャ絨毯の名を不動のものとすることになりました。


日本にも卑弥呼の時代にペルシャ絨毯が渡来?

祇園祭の山鉾と絹製綴織鳥獣文陣羽織  そして、日本人の日常の暮らしに定着したのは、住まいとライフスタイルの洋風化が進んだごく最近のこと。しかし、かなり古くからペルシャ絨毯が渡来していたであろうことは、数多くの文献から確認されています。年代的にもっとも古いものは「魏志倭人伝」で魏の明帝が朝貢の答礼として邪馬台国の女王卑弥呼に絨毯と思われる敷物を贈ったことが、その中に記されています。また、正倉院宝物として残されている花氈(かせん)と呼ばれるフェルトは、中国唐期の工芸品であり遣唐使によって日本へもたされたとされています。このころには絨毯は敷物としてよりも、装飾品としてその見事な模様と色調を珍重されていました。
 日本で現存するパイル織り絨毯の最古の例は、京都の夏の風物詩、祇園祭の巡行で人目を惹く山鉾の懸装です。その懸装にペルシャ絨毯が使用されているのです。祇園祭は、千年を超える伝統を有する八坂神社の祭礼ですが、山鉾が今のような形になったのは南北朝期のころと思われます。画期的な試みとしてペルシャ絨毯を初めとした舶来品を使用したのでしょう。
 また、京都の高台寺に豊臣秀吉が着用したといわれる「絹製綴織鳥獣文陣羽織」が残っていますが、これはペルシャの織物のキリムと呼ばれる薄手の綴織を元にして作られた品物で、現存するペルシャの キリムの中で最も古い(16世紀)もので、貴重な研究資料でもあります。 ポルトガル人によってもたらされた、これらの毛織物は当時の武家社会で、軍装品や贈答品として使われたのですが、陣羽織となったのは非常に稀です

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